2013年4月30日火曜日

活動休止のお知らせ

先日、創作仲間と「人類最後の一人になっても小説を書くか」
という雑談をしました。
仲間のほとんどが「それでも小説を書く」と答えました。
私はそのことにとても驚きました。
「だれにも読んでもらえないんだよ。生き残りは一人もいない」
と再度尋ねました。それでも彼らは「書く」のだと言いました。

それがみんなと私の創作に対する姿勢の違いです。
「純粋な楽しみとして小説を書いている」のか、
「だれかに喜んでもらうために小説を書いている」のか。

情けないことかも知れませんが、
だれにも喜んでもらえなくなったとき、
私は小説を書く意味を見失うのです。



インターネットの世界で「山田佳江」として活動するようになってから、
たくさんの人に親しくしていただきました。
さみしがりやの私には、それはとても幸福な体験でした。

そうしてそれと同時に、
私の存在を不快に思う人も増えていきました。
(真摯に作品批評をして下さっている方々のことではありません)

ネットストーカーや荒らしと呼ばれる人たちが対象を攻撃するとき、
完全な「征服感」や「多幸感」を体感するのだと、
私は無邪気にも信じていました。
そのような形でも、私のことをコンテンツとして消費して貰えるのなら、
ぎりぎりのラインで苦痛に耐えることもできていたのです。

「対象を傷つけることにより、その人もまた傷ついている」
という可能性に、私は気づいていませんでした。



ネット上の創作活動で、ささやかに「山田佳江」の名を知られることになり、
嬉しいことも悲しいこともたくさん起こりました。

「有名税だよ」と人は笑うかも知れません。
「こっちに戻っておいで」と仲間は言ってくれるかもしれません。
だけど私はずっと同じ場所に立っているのです。
どこにも行ってなどいないのです。



いくつもの精神的なダメージが重なり、
山田佳江のライフゲージは0を切りました。
それまでもぎりぎりのところで
たくさんの方からの応援でなんとかライフを補充してきたのです。
そろそろこころが限界のようです。

大切な人に迷惑をかけてまで
見てくれている人を不快にさせてまで
創作活動をする意味など私にはないのです。

山田佳江は山田佳江であることを
しばらくお休みさせていただこうと思います。
だれにも名の知れていない、ひとりぼっちのただの主婦に戻って、
混乱した頭を整理してこようと思います。
そうしてまたこころを充分に満たして、
戻ってくることができるといいなと思います。

私に関わって下さった全てのみなさま、
ほんとうにありがとうございました。



追伸:福岡ポエイチにはブースをとってあるので参加します。